読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

5年前のあの日をふり返る

5年前のあの日をふり返る

さて

今日は2016年3月11日。5年前のこの日、東北を大地震が襲ったと言う事は別に言うまでもない事である。

当ブログはあまり真面目なスタンスで書いているわけでもないので、テレビ東京みたいに通常営業の記事を書こうとも思ったのだけど、気が変わって(当時は真面目に書いていた)mixi日記とTwitterを元に当時の様子をふり返ってみたい。

ちなみに、過去ツイートをふり返る方法をググって発見し、これを有効活用させていただいたことを記しておく。

2011年3月11日

ちなみに当時自分は新宿区内の職場で働いていた。

地震発生時は仕事中。低周波のかき回すような揺れを感じ、
「きっと東北ですよ」
「遠いからそんなに大きく揺れないでしょう」
などと言っていたのだが、揺れは収まる気配なく、更に強い揺れに。

衝立が倒れたが、大きな被害なし。

ラジオを付けてもらい、やはり東北の地震であったことを知った。
また、お台場で火事との情報。

後輩が「○○棟では壁が崩れた、水道管が破裂して水浸し」などと教えてくれた。
窓の外を見ると、確かにお台場方向に黒煙が見えた。

嫁に電話しようとしたが、DoCoMoの携帯は通話不能。
しかし、iPhoneからTwitterにはアクセスでき、タイムラインで状況の凄まじさを知る。津波の映像に我が目を疑う。

館内放送でエレベータは使用禁止とのアナウンス。

携帯が通じないので、皆公衆電話に並んでいる。
公衆電話も数少ないのだが、一部はテレホンカード専用で小銭が使えない。
これは不便だった。
10円玉が必要。

テレビがないので、USTREAMでNHKニュースの中継を見る。
市原のコンビナート火災の映像に我が目を疑う。

公衆電話の行列に並び、嫁に電話するも不通。
実家に電話すると、「特に被害はないが、津波警報で避難するように放送が流れているがどこに逃げて良いのか分からない」 と。

ネットと、USTREAMで引き続き情報収集。

mixi日記より。一部改編。

嫁の勤務先に電話。繋がらず。

しばしネットで情報収集。
NHKのUSTREAを見る。
車が津波に巻き込まれてもみくちゃになっている映像に絶句。
その間もしばしばミシミシと揺れが。

本日中は電車は復旧しないとの報道に、19時過ぎに帰宅を決断。
職場を出ると、通りにはヒトヒトヒト。
みな徒歩で帰ろうという人々。
中には防災用のヘルメットをかぶっている人もいた。準備が良い。

そうは言っても腹は減るので、同僚と帰り道の途中にあるラーメン屋へ。 嫁より「無事」とのメール。一安心。

mixi日記より。一部改編。

ラーメン食べ終わってから、徒歩で帰宅。
靖国通りを西へ。
歩道は満員、道路も渋滞、あちこちで消防車のサイレンが鳴っている。
こんな日に、酔っぱらっている人もちらほら。
まぁ金曜日だから。

帰路、DoCoMoの携帯から安否情報掲示板にアクセス。
安否情報をひとまず登録。
新宿辺りは相当人がいた。
新宿三丁目では、ABCマートに靴を購う人が行列を作っていた。
こういう状況だと、足元は非常に大事。

mixi日記より。一部改編。

新宿を越えるとわりかし人がまばらになってきた。
途中、猛烈な便意に襲われる。
自宅まであと10分というところで、公園の公衆便所に入るが、トイペがなく断念。
小用のみ。

さらに歩いてようやく帰宅。たっぷり1時間半かかった。

我が家は、書棚から本が数冊落ちていたのと、結婚式の時に友人が作ってくれたウェルカムボードが落下していたくらいで大きな被害はなし。
書棚にはつっかえ棒をしてあったので、それが良かったのかも。

と言うわけで非常に疲れた一日だった。

mixi日記より。一部改編。

自分が得た教訓

教訓として感じたのは、
災害時には携帯はあまり役に立たないが、Twitter、FaceBookなどソーシャルネットワークは生きていた。
嫁にもモバツイをやらせるべき(メールも通話も不通になった)。
歩きやすい靴を常に履く。

mixi日記より。一部改編。

では