栗城史多氏の無謀なエベレスト登山計画はセルフ・ハンディキャッピングでは?
さて
登山家の栗城史多氏が自身5度目となるエベレスト登山に挑戦したものの、登頂を断念、下山したとのこと。
4月のネパール大地震後では初となる世界最高峰エベレスト(8848メートル)の登頂に挑戦していた登山家の栗城史多さん(33)は27日、登頂を断念し、下山を決めた。
自分は登山の専門家ではないけど、この人以前からネット界では「プロ下山家」と言われて揶揄されていたよね。
そもそも登山計画が無謀だった?
2週間前の真相報道バンキシャ!を見ていたら、ちょうど栗城氏の5度目のエベレスト挑戦のことを取り上げていた。ゲストは冒険家の三浦雄一郎氏だった。
バンキシャ!見てるけど、スキー・登山界の伝説の三浦雄一郎を呼んでプロ下山家の栗城史多の話題を取り上げるというシュールな画になっているぞ #ntv
— iGCNメンバー (@iGCN) 2015年9月13日
栗城氏の挑戦について一連のVTRが終わり、スタジオに戻った時の三浦氏の難しそうな顔が印象的だった。本音はめちゃくちゃにこき下ろしたいけどテレビの流れ的に腐すわけにもいかない、どうしたものか、と思い悩んでいるように見えた。
三浦雄一郎氏は今は天候も不順でエベレスト登山にはベストのシーズンではないことを説明し、「これは滅茶苦茶な計画」と述べた上で、「でも頑張って欲しい」と無難にまとめていた。
一方、登山家の野口健氏はTwitterでこのように述べていた。
そんなエベレストに栗城さんがアタック中。通常の最終キャンプよりも低い地点から一気に山頂を目指すとのこと。無茶だ。遠すぎる。仮に登頂できたとしてもその日の内にテントまで戻ってこられないだろう。8000mを超える世界でのビバークはリスク高過ぎる。一度BCに下り仕切り直しした方がいい。
— 野口健 (@kennoguchi0821) 2015年9月25日
やはり、今回の栗城氏の今回のエベレスト登山計画は、プロの目からすると無謀だったと言えるのだろう。
セルフ・ハンディキャッピングとは
一見無謀とも言えるエベレスト登山に挑戦し、(予想通り)下山してきた栗城氏の報道を聞いて、自分は「セルフ・ハンディキャッピング」という精神科/心理学の概念を思い出した。
セルフ・ハンディキャッピングについては、Hatena Keywordの説明が一番分かりやすかったので引用する
心理学用語。
自らにハンディキャップを課し、たとえ失敗した時でも言い訳ができるようにしておく行為。
失敗した時にはその言い訳によって自分の評価の低下をより小さくすることができ、成功したときにはハンディキャップを乗り越えた自分への評価の上昇を期待することができる。
自尊心を守るための防衛行動。
上記ページの具体例でも挙げられているけど、学校の定期試験前になると必ず「オレ勉強全然してないわー、今回のテストやばいわー」って言っているヤツが1人や2人いたと思うのだけど、まさにアレだ。
栗城史多氏のセルフ・ハンディキャッピング
栗城史多氏が敢えて困難なエベレスト登山に挑戦するのはセルフ・ハンディキャッピングでは無いのか、と言うのが私個人の見解である。
栗城史多氏は2012年のエベレスト登山時に受傷した凍傷のため、両手指9本を切断しているとのことである。この時点で既に大きなハンディキャップを背負っていると思うのだけど、それだけではものたりず、敢えて条件の悪い時期、困難なルートを選んで登頂に挑戦しているように見える。
栗城氏は自身の最終目標を「エベレスト単独無酸素登頂」に置いているようだが、それに成功してしまうことを実は恐れているのではないだろうか。別の言い方をすれば、チャレンジし続けることこそが自身のアイデンティティになってしまっているのではないか。
エベレスト登頂に成功してしまえば次に新たな目標を掲げなくてはならない、それが怖いのではないか。と邪推してしまう。
「私バカだから」と言う人間は本当にバカ
これはゆうメンタルクリニックの漫画からの引用だが、
セルフ・ハンディキャッピングをする人はしない人に比べて成功の確率が下がってしまうということがわかっているのです。
とのこと(この漫画は分かりやすいのでお勧め)。
栗城氏はセルフ・ハンディキャッピングを続ける限り永遠にエベレスト登頂に成功することはないだろう。まずは無難な時期に無難なルートで登頂するのが良いのではないかと、素人の老婆心ながら呟かせて頂く。
今日はこれだけ。
では
登山家・栗城史多氏は失敗することに失敗した - Noblesse Oblige 2nd