近藤誠「患者が死んだら医者の守秘義務は無くなる」を検証する

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さて

今日はTwitter経由でまたもやもやするニュースを目にしたので取り上げたい。

きっかけとなったTweetと、それに対する私の初期反応をまずは引用する。

文芸春秋誌の近藤誠インタビュー記事

第一報のツイートとその続報

それに対する私の初期反応

10月9日発売の文芸春秋11月号において近藤誠医師が取材に応じ、自身のクリニックを訪れた川島なお美さんの病状について、「死者に対する守秘義務はない」として赤裸々に語っていると言うことのようだ。

近藤誠氏とがんもどき理論

近藤誠氏がどういった人物であるかについてはググって頂きたいところだけど簡単に説明すると、

近藤誠氏は放射線科の医師であり、元慶應義塾大学医学部専任講師。独自の「がんもどき理論」に基づいて、がんを発症しても放置すれば良いと患者に指導し、それを信じた患者達が苦しみながら死んでいき、医学界では鼻摘みもの状態。

という人物。

そんな人物の「死者に対する医師の守秘義務はない」という冒涜的発言は当然Twitter上で一斉に非難されたのである。

医師の守秘義務とは

では、「医師の守秘義務」とはどのようなものであろうか?

日本医師会のサイトに、ずばり「医師の守秘義務について」と題した頁があった。筆者は日本医師会参与、弁護士の手塚一男氏である。

http://www.med.or.jp/doctor/member/kiso/d12.htmlwww.med.or.jp

この文書では、医師の守秘義務について倫理的・法的の二つの観点から述べられている。

医師の守秘義務:倫理的根拠

倫理的な根拠としてはジュネーブ宣言とWMAリスボン宣言に記載があると言う。引用すると、

「私は、私への信頼のゆえに知り得た患者の秘密を、たとえその死後においても尊重する。」

  • ジュネーブ宣言


a.患者の健康状態、症状、診断、予後および治療について個人を特定しうるあらゆる情報、ならびにその他個人のすべての情報は、患者の死後も秘密が守られなければならない。ただし、患者の子孫には、自らの健康上のリスクに関わる情報を得る権利がありうる。

  • WMAリスボン宣言

これらの宣言では、いずれも患者の死後においても医師に守秘義務があることを規定している。しかしこれらは倫理規定にすぎず、残念ながら法的拘束力はない。

医師の守秘義務:法的根拠

一方、医師の守秘義務の法的根拠は医師法ではなく、刑法134条1項に記されている。

第134条 1. 医師、薬剤師、医薬品販売業者、助産師、弁護士、弁護人、公証人又はこれらの職にあった者が、正当な理由がないのに、その業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、6月以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。

これを読めば一目瞭然、近藤誠氏の行為は刑法違反だと思うのも当然だ。

だが待てよ?

近藤誠氏はずいぶん自信満々に「死者に対する守秘義務はない」と述べているではないか。近藤氏の医学理論には科学的根拠がないことはよく知られているが、今回の件については一歩間違えば告訴されるリスクもある。根拠のない発言とも思えなくなってきた。

そこで、近藤氏の発言の根拠を考察してみた。

免責事項:あらかじめお断りしますが私は法律の専門家ではなく、以下に行う考察はほとんどソースがwikipediaです。また、人によっては(おそらくこの問題に関心のあるほとんどの方は)以下の内容に不快感を覚えると思います。私は近藤誠氏を支持する立場ではありませんが、全てのことに是々非々で対応するポリシーです。

では、どうぞ。

「死者に対する守秘義務はない」発言を検証する

ここで、もう一度刑法134条の条文を読んでみると、

業務上取り扱ったことについて知り得た人の秘密を漏らしたときは、6月以下の懲役又は10万円以下の罰金に処する。

とある。「人」というキーワードに秘密がありそうだ。

刑法における「人」の定義は?

困った時のWikipediaで調べると、法律用語の「人」は正確には「自然人」と言うらしい。

自然人とは、近代法のもとで、権利能力が認められる社会的実在としての人間のことで、法人と対比されている概念である。単に「人」とも言う。

人の始まりと終わり

出生することによって、人(自然人)は権利の主体であることができる地位を得る。刑法的には、「人」として法律の厚い保護を受けることができるようになり、また民法上は私権を享有する立場を得る。

出生すると「人」になるとのこと。うむ、当たり前だな。

では人が死んだらどうなるのか。

死亡したことによって、人(自然人)は権利の主体であることができる地位を失う。

刑法上では、生きている者は殺人罪・傷害罪をはじめとする各種犯罪の客体(被害者)となることができる。それらの犯罪の加害者に対しては重罰が課されることから、結果として法によって厚く保護される。しかし死亡すると、生きている人を保護することを目的として規定された犯罪の客体となる地位を失い、低いレベルの保護しか受けられなくなる。

死亡すると「人」としての権利を失う、刑法は死者を保護することはできない。つまり死者は刑法134条の対象外になると読める。近藤氏の言うこともあながち嘘でなさそうだ。

法的義務は死とともに終わる

こちらは本件調査中に発掘された資料。無記名・出所不明の文書だが、おそらく何かの講義の資料と思われる。「倫理学 守秘義務」と題された文書で、リンクは直接PDFファイルになっているので要注意。

http://tmspt205.up.seesaa.net/image/E580ABE79086.pdf

こちらの文書から引用すると、

10、死と守秘義務

法的に見ると守秘義務は人格に属する事実で、法的義務は死とともに終わる。

死者に対する法的義務はないと明確に述べている。

もう一つ、こちらは西南学院大学法学部教授の村山淳子氏による文献も引用させて頂く。

https://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/29791/1/WasedaHougaku_84_03_Murayama.pdf

わが国においては、法益の担い手である患者がすでに死亡している以上、その人格権もともに消滅していて存在しないというのが、一般的な見解である。

  • ドイツ医療情報法:村山淳子, 早法84巻3号(2009) p273

個人情報保護法は?

ちなみに今回の件とはあまり関係がなさそうだが、個人情報保護法においても、やはり死者の情報は保護対象になっていないようだ。

http://www.caa.go.jp/planning/kojin/gimon-kaitou.html

個人情報保護法は、「個人情報」を生存する個人に関する情報に限っており(Q2-1参照)、死者に関する情報については保護の対象とはなりません。

日本の法律は、まさに「死人に口無し」状態だ。

女子医大プロポフォール投与事故について

Twitter上で指摘があった、女子医大病院でのプロポフォール投与事故で遺族が秘密漏示罪で刑事告訴していると言う話。

紹介されていた「女子医大、秘密漏示罪で刑事告発」という記事を一読すると、死者に対する守秘義務違反で刑事告訴しているように見えたのだが、先の考察から死者に対する守秘義務違反で刑事告訴するのは難しそうに思われる。

しかし、よくよくその目で記事を読むとあることに気付いた。

同事件で、男児が死亡したのは2月21日。その後、男児の両親のもとに、フリージャーナリスト、大手新聞社、週刊誌の記者らから、手紙や電話などが来た。遺族側は個人情報の漏えいと問題視、これを受け、女子医大は6月20日から調査を開始していた。

遺族側は、告訴事実として、「患者や両親の氏名、住所、年齢、外来での診療経過、疾患の内容、入院中の手術および術後管理の医療行為の内容などを、電子カルテにアクセスして取得した」と指摘、その上で、それらの情報を正当な理由なく、2月21日頃から3月13日頃の間、メモで交付したり、口頭でその内容を伝えるなど、秘密を漏えいしたとしている。

告発のきっかけは、男児の両親の元にマスコミから電話がかかってきたこと、つまり両親の電話番号という個人情報が漏えいしたことである。

実は、本件は死亡した男児についての個人情報漏えいを争っているのではなく、男児の両親の個人情報が漏えいしたことを訴えているのではないだろうか。

その後の事件の経過に関する報道資料がみつけられなかったので、詳細は分からないが。

一方そのころドイツでは

調査を進めている間に、日本とドイツにおける守秘義務の考え方の違いについて述べているサイトをみつけたのでここで紹介しておく。東京医科歯科大学名誉教授の岡嶋道夫氏が公開している文書である。

http://www.hi-ho.ne.jp/okajimamic/m407.htm

詳しくはサイトをご覧いただきたいが、ドイツの法律における医師の守秘義務についての部分を引用する。

守秘義務

(1) 医師は、医師の資格において委ねられたり、知らされた事柄については-患者の死後においても-秘密を守らなければならない。これには患者の書面による報告、患者に関する記録、X線写真、その他の検査所見も含まれる。

さすがはドイツ、患者の死後も守秘義務があることが明確に記されている。

さいごに:近藤氏の発言は倫理的には決して許されない

以上見てきたように、「死者に対する医師の守秘義務」についてはどうやら近藤氏の言い分に一理ありそうだ。だが、患者が生きていようと死んでいようと医者が業務上知り得た情報を他人に漏らすのは倫理的には絶対にあってはならない

その点だけは強調しておきたい

本件に関する、法律専門家の意見を求む。

では

追記:この件に関する補足記事を書きました。ご一読下さい。

igcn.hateblo.jp