「キラキラネームとER受診時間の関係」読んだ
さて
Twitter上で話題になっていた、「キラキラネームとER受診時間の関係」という論文を読んだのでそれについて語りたいと思う。
個人的信念として、「キラキラネーム」というオブラートに包んだような物言いが気にくわないので以降「キラキラネーム」は「DQNネーム」と記載する。不愉快な方はページを閉じて頂くか、「DQN」の部分を「キラキラ」と脳内変換しながら読んで頂ければ幸いである。
本論文は、日本赤十字社和歌山医療センターの初期研修医である松浦祐史先生が筆頭著者となっている。
方法
この論文の研究対象となった患者は、1週間の間に日本赤十字社和歌山医療センター救命救急センター(以降ERとする)を受診した15歳以下の患児104名。年齢、受診時間、重症度(トリアージレベル)、来院方法(救急車か自己来院か)が調査された。
気になるのはDQNネームをどのように定義するか。対象となった患者104名の名前についてERの職員27人にアンケート調査を実施。まずは患児の名前の読みを回答させ、その後正解を見せたうえでDQNネームと思うか否かを回答させた。5割以上が正しく読めず、かつ5割以上がDQNネームと考えた名前を「DQNネーム」と定義。
結果
- 104名の患児のうち16人(15.2%)がDQNネームと判定された。
- 深夜帯(21時〜翌9時)に受診した患者の割合は、DQNネーム児で6/16人(37.5%)、非DQNネーム児で11/88人(12.5%)で統計学的に有意差あり。
- 救急車の利用率、重症度では有意差無し
考察
- 名前の可読率とDQN度の間には負の相関あり(R2乗=0.48, P<0.001)。
- 読めない名前だからと言って、必ずしもDQN判定されるわけではない。これは日本語の人名の読みの多様性による。
- 「名前が本来、社会と個人を結ぶ公共物であると言う認識が欠落し、他人が読めなくても頓着しないという意識での名付けが行われてきた」
- 「公共の空間に対して配慮を欠く傾向のある患児の親が深夜に受診を決定している割合が高い」
ここから先は私の個人的意見(毒多め)
松浦祐史先生の論文内容を紹介した。まぁそうだろうなぁという納得の内容ではあった。
子供にDQNネームを付けてしまう親の気持ちは自分は全く理解が出来ない。
こちらのサイトをみると、これでもかという圧倒的な情報量で多数のDQNネームが紹介されている。中にはネタも含まれているのかもしれないが、半分くらいは本当にいるんじゃないか。
自分も最近子供が産まれて、命名する時は相当悩んだし、個性的な、他に無いような名前が良いなと言う思いは確かにあった。
けれども日本語の読みの原則を曲げることは決してしなかったし、常識的範疇の命名をしたと思っている。
使う漢字については漢和辞典で読みや意味を一々調べたり、画数も字画の組み合わせが良いように注意した。
DQNネームを付けてしまう親って、おそらく自分も感じた個性的な、他に無いような名前にしたいという思いが強過ぎて、さらにそれを抑制するに足る意志力・公共心・知識がないが故にDQNネームをつけてしまうのではないか。
DQNネームを付けてしまう親は常識や公共心を欠いている。故に深夜に不要不急のER受診をしてしまう。
子供の名前って親が子供に対して贈る最初のプレゼントであり、そして一生ついて回るけっして変えることが出来ないものだ。
そんな大事なプレゼントがDQNであることを知った時の子供の悲しみは想像するに慚愧に堪えない。
個人的にはDQNネームを付けるのは子供に対する広義の虐待だと思っている。
では
追記:まぁ、将来的にDQNネームの子供たちが過半数を超えてしまえば、むしろ今の常識で普通の名前の人々がバカにされる時代が来るのかもしれない。常識は時代とともに変遷するからね。現に「シワシワネーム」なんていう言葉も出てきているようだし。