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1970年11月25日 三島事件

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さて

本日11月25日は三島由紀夫の命日に当たります。

大好評(?)三島由紀夫没後45周年特別企画、第3回の今回は三島事件について。

1970年11月25日、三島由紀夫と彼が結成した民兵組織である「楯の会」の会員4名が自衛隊市ケ谷駐屯地の東部方面総監室に総監を人質に立てこもりました。三島は自衛隊員を集結させ、憲法改正に向けた蹶起を促す演説を行いますが受け入れられませんでした。その後、三島と楯の会の森田必勝(もりたまさかつ)が割腹自決を遂げました。

これを三島事件と呼びます。

三島事件当日の時系列

まずは事件を時系列で振り返ってみましょう。

0800時

三島由紀夫起床。楯の会の制服を着た。

0850時

楯の会の会員、小賀正義と古賀浩靖、小川正洋の3人は楯の会の制服を身に着け、白いコロナに乗り込み小賀の運転で出発した。

森田必勝はサンデー毎日の徳岡孝夫記者とNHKの伊達宗克記者に託す封書を楯の会会員の田中健一に託し、出発。新宿西口の高速道路入り口付近で小賀らの車に乗り込んだ。

1000時

市ケ谷会館に楯の会会員33名が集まり、例会が開かれる。

1005時

三島は徳岡孝夫記者と伊達宗克記者に午前11時に市ケ谷会館に来るよう電話する。

1013時

小賀の運転する車が三島邸に到着。小賀は1人で三島を迎えに行った。三島は「天人五衰」の最終回の原稿を「新潮」編集者に渡すよう、手伝いの女性に託した。

日本刀「関の孫六」とアタッシェケースを持ち三島は家を出た。ケースの中には短刀、鎧通し、垂れ幕、要求書、辞世を認めた短冊などが入っていた。

小賀の運転するコロナに乗り込み出発。

車中で三島はこう言った

「これがヤクザ映画なら、ここで義理と人情の『唐獅子牡丹』といった音楽がかかるのだが、おれたちは意外に明るいなあ」

そして全員で歌をうたった。

1058時

陸上自衛隊市ケ谷駐屯地の正門を通過。東部方面総監部正面玄関に到着。二階総監室に案内される。

1100時

益田兼利総監と挨拶、森田以下4人の会員を紹介する。

「今日は(楯の会の)例会があるので正装で参りました」と話す。

1103時

三島が持参した軍刀を益田総監に抜いて見せて

「小賀、ハンカチ」

と言った。これを合図に行動に出る手筈であったが、総監が席を立ったため、行動にでなかった。

総監はすぐに座り直し、刀をよく眺めてから三島に返した。

三島は軍刀を受け取ると手拭いで刀身をぬぐい、小賀に手拭いを渡した。

1105時

小賀は手拭いを受け取ると総監の後ろに回り首を腕で締め上げ猿ぐつわをかませた。小川、古賀も協力して総監を縛り上げる。

森田は総監室の出入り口にバリケードを作った。

各々日の丸に「七生報国」と墨で書いた鉢巻をしめた。

同刻。市ケ谷会館で楯の会会員の田中健一がサンデー毎日徳岡記者とNHK伊達記者に封書を渡した。自衛隊で小事件が起こり2時間で決着予定であることを記した手紙と、檄文、蹶起に参加した5人の記念写真が同封されていた。

総監室の異常に気付いた自衛隊員がドアを開けようとしたが開かない。足元に置かれた「要求書」を発見。要求書には駐屯地にいる全自衛官と市ケ谷会館にいる楯の会会員を本館前に集合させ、三島に演説をさせることなどが記されていた。

自衛隊幹部による協議が行われ、その間に総監室への進入突撃も試みられたが三島らに日本刀で攻撃されたため撤退した。

1133時

自衛隊側の協議の結果、演説することを認めることにしてその旨が三島らに伝えられた。

1140時

駐屯地の全隊員に本館前に集合の指示。それに従い約800名の隊員が集まった。

1155時

森田、小川らが、総監室前バルコニーから垂れ幕を下げ、檄文を撒いた。

1200時

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三島が森田とともにバルコニーに現れ、檄文とほぼ同じ内容の演説を肉声で始めた。自衛隊員のヤジと報道機関のヘリコプターの騒音で、三島の肉声はほとんど聞こえなかった。


「それがだ、いま日本人がだ、ここでもってたちあがらなければ、自衛隊がたちあがらなきゃ、憲法改正ってものはないんだよ。諸君は永久にだねえ、ただアメリカの軍隊になってしまうんだぞ。諸君と日本の………アメリカからしかこないんだ。」

「諸君は武士だろう。武士ならば、自分を否定する憲法を、どうして守るんだ。どうして自分の否定する憲法のため、自分らを否定する憲法というものにペコペコするんだ。これがある限り、諸君てものは永久に救われんのだぞ。」

「諸君は永久にだね、今の憲法は政治的謀略に、諸君が合憲だかのごとく装っているが、自衛隊は違憲なんだよ。自衛隊は違憲なんだ。きさまたちも違憲だ。憲法というものは、ついに自衛隊というものは、憲法を守る軍隊になったのだということに、どうして気がつかんのだ!俺は諸君がそれを断つ日を、待ちに待ってたんだ。諸君はその中でも、ただ小さい根性ばっかりにまどわされて、本当に日本のためにたちあがるときはないんだ。」
三島由紀夫演説文より

演説の全文はこちらで読めます↓
三島由紀夫演説文

檄文はこちら↓
檄文(全)

1210時

当初30分ほど演説を行う予定であったが、これ以上は無駄と判断し、演説は打ち切られた。「天皇陛下万歳」を三唱し、三島と森田は総監室に戻った。

部屋に戻るなり、三島は服のボタンを外し服を脱ぎながら

「しかたなかったんだ。」

「(総監に)恨みはありません。自衛隊を天皇にお返しするためです。」

と言った。

そして、上半身裸になると、部屋の奥、バルコニーに向かって正座、両手で短刀を握った。その左後方に森田が介錯に立った。

三島は短刀を左脇腹に突き立て、右へ引き回した。

森田が刀を振り降ろした。三島の首は半分ほど切れ、身体は静かに前に倒れた。さらに二度切りつけたが、介錯しきれなかった。古賀が太刀を受け取り、介錯を果たした。

次いで森田が切腹、古賀が一太刀で介錯した。

残った三人は、二人の死体を仰向けにし、制服をかけ、首を並べ合掌した。

その後総監の縛を解くと、総監も二人の首に向かって正座、瞑目合掌した。

1220時

三人は総監とともに部屋を出て、その場で逮捕された。

三島由紀夫の辞世

益荒男が たばさむ太刀の 鞘鳴りに 幾とせ耐へて 今日の初霜

散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐

各界の反応

中曽根康弘(当時防衛庁長官)

全く遺憾なことだ。常軌を逸した行動と言うほかなく、せっかく日本国民が築きあげてきた民主的な秩序をくずすものだ。世の中にとってまったく迷惑だ。

佐藤栄作首相

全く気が狂っているとしか思えない。常軌を逸した行動だ。何が原因なのかよく分からない。

石原慎太郎

現代の狂気としかいいようがない。ただ若い命をかけた行動としては、あまりにも、実りないことだった。

ドナルド・キーン

今年の夏、「豊饒の海」についていろいろ話された。「この小説に自分のすべてを書き入れたので、完成したら死ぬことしかできない」といった。彼も笑って、僕も笑った。

青島幸男(当時参議院議員)

あれは、一言でいえば、ひどく知的なオカマのヒステリーだ。

篠山紀信

死という問題についても、いつも話していました。しかし、ぼくは、まったく気がつかなかった。

野坂昭如

もっとも尊敬する小説家であり、存在そのものに、戦慄せしめられていた三島さんの、突然の死に、ぼくはまだ愚かしく混乱し続けている。ぼくにできることは、ただ喪に服するのみ。

美輪明宏(当時丸山明宏)

冗談だと思いましたね。それでもテレビを見ると、いろいろニュースが流れるでしょ。見ているうちに、やっぱり、ああ、とうとう、という気がしてきましたね。

渋沢龍彦

彼は本質的にニヒリストで、何も信じていない。自分の信じていないことにだんだんのめり込んでいって、その結果がああいう行動になった。

川端康成

私はただなんとか諌止するすべはなかつたかと悔むばかりである。

第45回憂国忌

三島由紀夫を偲ぶ「憂国忌」という催しが、毎年11月25日に開催されています。自分も一度だけ参加したことがあります。

今年の憂国忌の案内↓
第四十五回 三島由紀夫氏追悼会「憂国忌」: 次回の憂国忌のご案内

さいごに

三島由紀夫の没後45周年のこの日に、三島事件について振り返ってみました。個人的な見解としては、三島の死は政治的なものではなく、文学的、あるいは性的な死と考えています。彼の作品を読み込んでいくと、三島が英雄的な死、とくに切腹に強い関心を抱いていたことがよく分かります。

そんな彼の性的情動に、森田必勝と言う触媒が作用したことによってあのような事件に発展したのではないかと思っています。

あくまで個人の見解です。

では

参考資料:松本徹著 「年表作家読本 三島由紀夫」、河出書房新社


昭和45年11月25日―三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃 (幻冬舎新書)

昭和45年11月25日―三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃 (幻冬舎新書)


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