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Noblesse Oblige 2nd by iGCN

湘南生まれ湘南育ちだけどサーファーではありません。しぞーかじん歴4年。最近アラがとれたアラフォーのおっさんです。サザンオールスターズと加山雄三が好きです。でも横山剣さんの方がもっと好きです。

君の名は、不惑。またはゴールのないマラソンを走り続ける苦悩について

今週のお題「2017年にやりたいこと」

https://miil.me/p/9q7sz

さて

2017年が明けてしまった。

例年1月1日に「年頭所感」としてその年の目標を掲げる記事をアップしてきたが、今年は40代になって初めて迎える新年と言うこともありよくよく考えたいこともあり今まで引き伸ばしてしまった。三が日も当に過ぎたけど、まぁ松の内であればまだ間に合うだろう。

2015 年頭所感 - Noblesse Oblige 2nd by iGCN

2016年 年頭所感 - Noblesse Oblige 2nd by iGCN

昨年、一昨年の抱負を読み返してみると全く同じことを言葉を変えて書いているだけだと言うことに気付いて自分の成長の無さに愕然としたのはここだけの話。

君の名は、不惑。

40歳の事を不惑と言う。「論語」の一節からの引用であることは周知のことと思うが、念のため記しておくと、

子曰く
吾れ十有五にして学に志ざす
三十にして立つ
四十にして惑わず
五十にして天命を知る
六十にして耳従う
七十にして心の欲する所に従って矩を踰えず

である。

自分自身が不惑を迎えるまでは、「四十にして惑わず」とは「40代になれば己の進むべき道を知り、惑うことがない」と言うような意味だと思っていた。

先日、ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフルで映画「君の名は。」の映画評を聞いたのだが、その中で宇多丸さんはこのようなことを話していた。

まあ、僕の定義で言うとね、「青春とは可能性が開かれた状態である」という定義。

既に不惑を迎えていた自分はこの放送を聞いて電撃が走るかのような衝撃を覚えたのだ。青春が「可能性が開かれた状態」だとすれば、不惑とは、謂わば「可能性が閉ざされた状態」と言えるのではないだろうかと。

10代、20代の頃はまだまだ人生に無限の可能性が開かれていて、目の前にいくつもの分かれ道があり、どの道を進むか選択する自由があった。選んだ道がどん詰まりの行き止まりだったとしても、引き返して新たな道を選ぶこともできた。

ところが年齢を経るに従い選べる道の数が減ってきて、不惑ともなれば分かれ道のない一本道をひたすらに走り続けることになるのだ。そして、自分が立たされているその一本道は、今までに選択して歩んできた道の到達点に他ならない。

「不惑」とは、自分に言わせれば「もはや惑うことが許されない、可能性が閉ざされた状態」をさす言葉に思えてきたのだ。

人生はマラソンだがそのゴールが見えない

2014年に話題になったリクルートのCM

「人生はマラソンだ」とよく謂われるけど、来し方を振り返ると自分の場合はゴールのないマラソンを延々40年間走り続けてきたように思う。三十代の半ばくらいから、自分の人生において目指すべきゴールが見えない焦燥感を抱えて生きてきた。走れども走れども、同じところを自分はグルグル廻っているだけなのではないだろうか。

本当であれば一旦立ち止まって深く考えるべきだったのだろうが、生来の先送り癖からズルズルと流されて今に至ってしまった。

先日、大学の後輩と数年ぶりに会い話をすることがあった。彼は今自分がリーダーとなって進めているプロジェクトの話を嬉しそうに話してくれた。

「これは僕のライフワークなんです」

と彼は言った。

「ライフワーク」なんて言葉を実生活のなかで聞くことになるとは夢にも思わなかった。自分の進むべき道、目指すべきゴールを明白に意識している彼を心底から羨ましいと思った。

自分が生まれてきた意味はんだろう、自分の人生の究極の目標はなんなのだろうか。

あなたがこの世に生まれてきた意味 (角川SSC新書)

あなたがこの世に生まれてきた意味 (角川SSC新書)

この世に生まれてきたことに意味があるなんて思い上がりであって、人生は死ぬまでの暇つぶしに過ぎないのではなかろうか、そう思いたくなったりもした。だが、残り30ー40年の人生を暇を潰して生きて行くのも味気ないと言うもの。

スマートな目標設定とは

毎年正月になると、その年の目標を考える。別に目標を立てるのは正月でなくても良い気がするのだが、年が変わったことで自分自身も生まれ変われるような気がするからだろうか。あるいは仕事が休みでじっくりとモノを考える時間が取れるせいだろうか。

目標を設定する時の目安として、”SMART”という考え方がある。

S.M.A.R.Tな目標を設定してください。
S.M.A.R.Tとは、

Specific(具体的)、
Measurable(測定可能)、
Achievable(達成可能)、
Relevant(関連性あり)、
Timely(期限あり)

のことです。

目標として「読書」や「ダイエット」、「運動」などを掲げる人が多いのではないだろうか。これらは具体的かつ測定可能で、SMARTな目標設定と言えるだろう。実際自分もこれまでにSMARTな目標設定を行ってきたものの、全く達成できないと言うことを繰り返してきた。

スマートでない僕の目標

SMARTの項目をよくよくみると、R;Relevant(関連性)と言う項目がある。先の記事から再度引用すると、

目標は、あなたの戦略やビジョンと強い関連性を持っている必要があります。そうでないと、たとえ目標を達成できたとしても、ただの気晴らしに過ぎなくなります。

とある。

ここで言われている「戦略やビジョン」は、これまでに本稿で述べてきた「人生マラソンのゴール」と等しい。

振り返れば自分が今までに立ててきた目標設定は、SMATではあってもSMARTではなかったのだ。軸となるべき戦略やビジョンがなく、関連性が全くなかった。道理で意欲が途絶えて達成できないわけだ。

ちょうど今読み進めている本に、関連することが書かれていたので少し長くなるけど引用する。

たとえば、「朝8時までに家を出る」のは下位の目標で、「定時に出勤する」という中位の目標を達成するための手段にすぎない。
「なぜ定時に出勤するのか?」時間を厳守するため。
「なぜ時間を厳守するのか?」一緒に働く人たちに敬意を示すため。
「なぜそれが重要なのか?」よいリーダーになるため。
このように自分に対して「なぜ」を問いかけると、つねに「〜するため」という答えが見つかる。やがてピラミッドの頂点、すなわち最上位の目標にたどり着くだろう。最上位の目標は、他の目的の「手段」ではなく、それじたいが最終的な「目的」なのだ。
心理学では、これを「究極的関心」と言う。私はこの最上位目標を、その下に続くすべての目標に方向性と意義を与える「コンパス」だと考えている。


「やり抜く力」が非常に強い人の場合、中位と下位の目標のほとんどは、何らかの形で最上位の目標と関連している。それとは逆に、各目標がバラバラで関連性が低い場合は、「やり抜く力」が弱いと言える。

自分が今までに設定してきた—多くの人も同様かもしれないが—目標の数々はいずれも「中位」または「下位」の目標に過ぎなかったと言える。読書をいっぱいしてどうしたいのか?ダイエットをした結果何を望んでいるのか?最上位の目標が見えない限り、それらの目標設定には意味がないのだ。

自分の究極的関心を見出したい

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総括すれば今年の自分の目標は、自分自身の「究極的関心(人生のゴール)」がなんであるかを見出すことである。

そして1年間と言わず長い目線で5年後、10年後を見据えて今後の人生を設計して行きたい、と言うよりはそうしなければならない年齢・立場に立たされている。

10年後には自分も50歳を迎える。

五十にして天命を知りたいものである。

では


やり抜く力 GRIT(グリット)――人生のあらゆる成功を決める「究極の能力」を身につける

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