子供の予防接種拒否について思うこと:Unwise decisions尊重の限界

さて

たまには真面目な話をしようか。

一昨日はてブ界隈に彗星のごとく現れたスターがいる。敢えて名前を挙げることはしないが、小児科医に勧められた子供の予防接種を拒否したことをFacebook上で誇らしげに語る若い男だ。

そもそもFacebookの公開範囲に制限をかけてなかったり、それなのに子供の写真をアップしていたり、おそらくいろんなリテラシーの低い方なんだろうなと想像するのだが、Facebookは類が友を呼ぶ世界だからこの男(F氏としよう)の投稿に対してオトモダチ達から多数のイイネや賛同コメントが寄せられていて、読んでいて絶望的な気持ちになった。

ダニング=グルーガー効果

F氏のFacebook投稿の文章を読んで、一応日本語で書かれているようだが、論理が完全に破綻していて何を言っているのか自分には全く理解が出来なかった。「人間の自然な免疫システム」や「自己免疫疾患」についてたいそうなご講釈をお垂れになっていたが、専門家の目からしたら素人の耳学問で適当なことを言うなというような内容。

しかし、半可通の人間ほど自信を持って語るので、それをまた無知な人間が盲信して信者の輪が広がっていくと言う現象がここでは起きている。

このような現象は「ダニング=グルーガー効果」として知られている。

karapaia.livedoor.biz

1999年、ダニングと教え子のジャスティン・クルーガーは、「能力の低い人は、自分の無能さを認識できず、自己を実際よりも高く評価する(ひいては自信に満ちて見える)」という認知バイアスに関する論文を機関誌「Journal of Personality and Social Psychology」に発表。この認知バイアスは現在「ダニング=クルーガー効果」として知られており、2000年にはイグノーベル賞の心理学賞を受賞した。

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しかし、この現象で興味深いのは、能力がないことによって、人はうろたえたり困惑したりするのではなく、むしろ不適当なほどの自信に満ちあふれていることだという。研究の結果、テストでDやFを取る大学生は、自分の答案はもっと高い点数に値すると考える傾向があり、また実力の劣るチェスやブリッジのプレーヤー、医学生、そして運転免許証の更新に臨む高齢者ほど、自分の力を過大評価することがわかっている。

F氏の現在地点はグラフの尖ったピークのところあたりなんだろうと思われる。

世の中には相互理解が全く出来ない人間が存在すると言う事実

もう一つ興味深い点は、Facebook上のコメントに対するF氏の回答である。賛同コメントが9割9分、お一人獣医と名乗る方が批判的なコメントを寄せていたのであるが、それらに対するF氏の回答が一々的外れで全く噛みあっていない。

議論をはぐらかす目的でわざと的外れな回答をするというのは戦法としてはあるのかも知れないが、F氏の場合は大まじめに回答した結果がとんちんかんになっているように見える。 

現実問題として、このように相互理解が全く出来ない人間に遭遇することが時々ある。個人差はあれど、多かれ少なかれ人間の考え方というのは共通しているものだから、普通は相互に相手の言いたいこと、伝えたいことを理解することが出来るのであるが、まれに本当に何を考えているのか理解できない人間がいるのだ(宇宙人などと呼ばれるタイプの人々)。

人間の思考を単純化した関数として考えると理解しやすい。

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一般的な人間の思考が、Aという入力に対してBを出力すると仮定する(a.)。出力が多少ぶれて、たとえばB'になったとしても脳内補正することで理解が可能だ。

しかし、ここに同じAという入力に対して全く違う答えKを出力する人間がいるとする(b.)。一般人からすると、入力Aに対してBという出力を期待しているから、相手の言っていることが理解できない。さらにこの人間はBという出力をするためにはZを入力する必要があるとすると(c.)、一般人がBという出力をしているのを見て、彼はZが入力されたのだと思い込んでしまうだろう。

このように、思考回路が異なる人間とは永遠に理解しあうことが出来ない。

別の喩えで言えば、パソコンのOSが違うようなもの。YosemiteとEl Capitanは互換性がある(だろう)けどWindows 95とMac OSは互換できないというように。

入力に対する出力が全く違うので、この手の人間とは議論が出来ない。小児科医が説得しようにも話にならず、思わず「虐待とみなしますよ」と言ってしまったというのも無理はない。

理解できない他者と理解されない自己―寛容の社会理論

理解できない他者と理解されない自己―寛容の社会理論

Unwise decisionsの尊重

医療におけるインフォームド・コンセント(IC)という考え方は一般に認知されつつあると思われるが復習しておくと、

医療行為(投薬・手術・検査など)や治験などの対象者(患者や被験者)が、治療や臨床試験・治験の内容についてよく説明を受け十分理解した上で(英: informed)、対象者が自らの自由意思に基づいて医療従事者と方針において合意する(英: consent)ことである。

医療者の説明を受けて患者または患者家族が治療方針について合意をすると言うのがインフォームド・コンセントの基本理念である。

ここで得られた合意はもちろん尊重されるべきなのだが、時に医学的に明らかに不適切な治療方針を患者が選択することがあり、これをunwise decision(愚かな選択)と呼ぶ。このunwise decisionも尊重されるべきと言うのが医療の大原則である。

インフォームド・コンセントについて、ボストン大学公衆衛生大学院の田中まゆみ氏が書いた興味深い記事があるので、少し長いが以下に引用する。

さて,インフォームド・コンセントにサインしてくれない(「説明を受けた上での拒否“informed refusal”)患者はどうするか。大事なのは患者の意向を尊重することであるから,静かに「わかりました。おっしゃる通りにします」と丁寧に引き下がり,カルテにその旨を記載すればよい。決して言い争ってはならない。あとはシニアレジデントか教官にバトンタッチする。人を変えて説得しても気が変わらないようなら,いかに医師から見て理不尽な決断に思えようと,患者の決定に従う(これを,患者の“unwise decision”の尊重という)。そもそもインフォームド・コンセントとは患者の自由意思を尊重するということなのである。MGHでは,患者が拒否するので生検ができず最終診断がつかないまま退院,というようなことはごくありふれたことである。患者の体であり,患者がそれでいいと言っているのだから,「気が変わったらまたどうぞ」と笑顔で送り出す(研修医は不満顔だが,教官が正しい対応の仕方を教え,実践して見せる)。

医学書院/週刊医学界新聞 【〔連載〕MGHのクリニカル・クラークシップ(8)(田中まゆみ)】 (第2388号 2000年5月22日)

OSの違う、議論のかみ合わないような患者がunwise decisionをしたとき、医療者はそれを尊重しなければならない。患者側は医者を論破したと意気揚々かも知れないが、単に患者の自由意志を尊重しただけのことである。

インフォームド・コンセント―医療現場における説明と同意 (中公新書)

インフォームド・コンセント―医療現場における説明と同意 (中公新書)

保護者のunwise decisionは尊重されるべきか

今回取り上げている予防接種拒否問題が釈然としないのは、decision makerとstakeholderが一致していないせいである。

癌患者が治療を拒否したとしても、その後苦しい思いをするのは自分自身だから自己責任で済まされるのかもしれないが、今回のケースでは感染症にかかって苦しい思いをする可能性があるのは、自分では判断する能力を持たない子供なのだ

みんなそれが分かっているから批判的になっているのだと思う。

保護者のunwise decisionは尊重されるべきか、というのは重要な問題だ。

エホバの証人輸血拒否の事例

“Unwise decision"を考えるときによく事例として取り上げられるのが「エホバの証人の輸血拒否問題」である。

キリスト教系の新宗教である「エホバの証人」の信者は、教義に基づいて自己血を含む輸血を拒否することが知られている。

説得―エホバの証人と輸血拒否事件

説得―エホバの証人と輸血拒否事件

日本麻酔科学会が示した「宗教的輸血拒否に関するガイドライン」を読むと、輸血拒否絡みの判例が幾つか提示されている。

裁判例3例目:平成4年、63歳女性、C大学病院で肝臓の腫瘍摘出術を行った。本人の意思に反して輸血し、損害賠償を求め、最高裁は輸血拒否を人格権として認めた(平成 12.2.29)。

これは患者が大人で自己判断力がある例で、"unwise decision"を尊重する判決が下された。

保護者のunwise decisionとしては、1985年の大ちゃん事件が知られている。

www.jwstudy.com

当時10歳の少年が交通事故で病院へ搬送され緊急輸血が必要と判断されたものの、エホバの証人の信者であった両親の同意が得られず、結局亡くなってしまったと言う事例。いたたまれないな。

この事件の後、同じように1歳児の輸血を拒んだ両親に対して、親権を一時的に停止することで輸血を行い、救命し得たと言う事例がある。

d.hatena.ne.jp

「宗教的輸血拒否に関するガイドライン」から引用すると、

親権者が拒否するが、当事者が 15 歳未満、または医療に関する判断能力がない場合

  1. 親権者の双方が拒否する場合
    医療側は、親権者の理解を得られるように努力し、なるべく無輸血治療を行うが、最終的に 輸血が必要になれば、輸血を行う。親権者の同意が全く得られず、むしろ治療行為が阻害さ れるような状況においては、児童相談所に虐待通告し、児童相談所で一時保護の上、児童相 談所から親権喪失を申し立て、あわせて親権者の職務停止の処分を受け、親権代行者の同意 により輸血を行う。

今後は多くの病院で同様の対処がとられるようになるのだろう。悲劇は繰り返されてはならない。

予防接種拒否は医療ネグレクトなのか

件の小児科医はF氏(の妻)に対して「虐待とみなしますよ」と言ったそうだが、この場合は正確には医療ネグレクトに相当する問題だと思う。

医療ネグレクトとは、医療水準や社 会通念に照らして、その子どもにとって必要かつ適切な医療を受けさせない行為を指し、親が子どもを 病院に連れて行かない場合だけでなく、病院には連れて行くものの治療に同意しない場合も含んでいる。

輸血をするしないはダイレクトに生死に関わることなので救命のために親権停止までやる価値があるだろうが、予防接種拒否についてはそのリスクを客観的に算定することがなかなか難しい。

輸血拒否のリスクに比べれば、予防接種拒否のリスクは0に限りなく近いが0ではない、けど予防接種自体のリスク(副作用)に比べれば高いと言ったところだろう。リスクが低いからこそ、予防接種拒否が選択肢に挙がってきてしまう。そしてそれに対して医療者は対応策を持ち合わせていないのだ。

個人的には、「予防接種拒否」は子供の健康リスクを増大させ得るのだから広義の「医療ネグレクト」には該当すると思う。

NATROM氏と同じ見解↓
d.hatena.ne.jp

公衆衛生上のリスク増大:集団免疫の破綻

予防接種拒否に対して一般の人々が過剰に反応してしまうもう一つ理由は、予防接種拒否者が増えることで、我々の健康もリスクにさらされうるからである。

予防接種を受ける人が増えれば感染症にかかる人の数は減るし、予防接種率が下がれば感染症が増える。単純な理屈である。これを集団免疫と言う。

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良いデータがなかったのでWHOのポリオの統計を引くが、1990年から2014年の15年間で、ワクチン摂取率が76%から86%に上昇したのと同時に患者数は35万人(!)から414人へと激減している。

予防接種を受ける受けないは決して個人の問題ではなく、公衆衛生上の問題なのだ。

さらに以下の模式図は集団免疫の概念を分かりやすく説明している。

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青は感染症に免疫を持たない(予防接種を受けていない)が健康な人、 黄色は感染症に免疫を持っている(予防接種を受けた)健康な人、 赤は感染症に免疫を持たず(予防接種を受けていない)病気を発症し感染力のある人である。

一番上の図では誰も免疫を持っていないため、少数の発症者から感染が爆発しアウトブレイクに至る。
二番目の図では、人口のうち少数が免疫を持っているが、やはりアウトブレイクを防げない。
三番目の図では人口のうち大部分が免疫を持っている。すると感染症は広がることなくアウトブレイクを防ぐことが出来るのだ。

集団免疫についてはこちらもご参照下さい↓

さいごに

予防接種拒否問題について、様々な観点から検証してみた。

予防接種を拒否する方々に言いたいことは、予防接種を拒否しても健康でいられるのは、その他大多数の人々がきちんと予防接種を受けているからだと言うことだ。

予防接種を拒否する人々は、仲良く無人島にでも集まってコミュニティを形成したらいいんじゃないかと思う。その時に初めて予防接種の重要性を知ることになるだろう。

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では

追記:
補足記事を書きましたので、そちらもお読み頂ければ幸いです。

igcn.hateblo.jp


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